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日本とトルコの友好の120年目の歴史



 
1887年、小松宮彰仁殿下及び同妃殿下がトルコを訪問し、皇帝アブドゥル・ハミト2世に謁見しました。1889年7月、これに対する答礼として、同皇帝はオスマン・パシャ提督(海軍少将)率いる総勢650名の使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号を日本に派遣します。1890年6月、同使節団は横浜港に到着、オスマン・パシャ提督は明治天皇に拝謁しオスマン帝国の最高勲章を奉呈しました。
 同年9月、同使節団はトルコへの帰路に就いたのですが、エルトゥールル号は神戸を目指して航行中、和歌山県紀州沖にさしかかったところで台風に遭遇してしまいました。強風と高波の中、エルトゥールル号は樫野崎灯台を目指して航行しましたが、運悪く、沖合約40メートルで座礁し、沈没しました。
 この海難事故により、オスマン提督以下乗組員587名が死亡するという大惨事となりました。そのような中、付近の住民の献身的な救助により、69名の乗組員が救出され、後に日本海軍の巡洋艦「金剛」及び「比叡」により丁重にトルコに送還されました。また、日本国内でも犠牲者に対する義援金の募集が広く行われました。
 このように、エルトゥールル号の海難事故自体は極めて痛ましい事件ではありましたが、その際の日本官民あげての手厚い事後対応はトルコ人の心を打ったとされます。現在では、エルトゥールル号の日本訪問とその後の遭難事件は、両国の友好の原点の出来事とされています。
 また、この120年間の友好の歴史の中には、1985年3月に、イラン・イラク戦争下のテヘランで、イラクがイラン領空の全航空機を攻撃対象にすると発表したために、テヘラン在留の日本人が孤立した状況に陥った際、トルコ政府が日本側の要請に基づいてトルコ航空機をイランに派遣してくれた結果、イラクの攻撃設定期限のぎりぎりで多くの日本人がこれに搭乗してイランを無事に脱出することができた、というトルコの方々の友情に日本国民が助けられた出来事もありました。
 なお、エルトゥールル号事件については、その後、海難現場の和歌山県串本町には、「エルトゥールル号殉難将士慰霊碑」が建立され、毎年慰霊式典が開催されています。また、串本町の姉妹都市であるトルコのメルシン市でも、串本町のものと同じ慰霊碑が建立されています。
 2008年6月、即位の礼を除き、二国間の公式訪問としては初のトルコ元首の訪日となるギュル大統領の訪日が実現し、ギュル大統領は串本町で行われた慰霊式典に参加しました。
 現在、串本町では、エルトゥールル号の発掘プロジェクトが進められています。(外務省HP抜粋)


こんなにも大事なトルコとの友好120年目の年に、マスメディアは何をしていたのか?政府は何をしていたのか?親日国家トルコに対するお祝いの報道もされず、経済的に協力強化していくとも言わず、日本の教科書にこの歴史的事実を取り上げる話も無い。
 
日本の議会発足120年目でもあり、日韓併合100年目でもある。議会120年目では秋篠宮殿下、紀子様への暴言を行なう民主党の中井ひろし議員。日韓併合では土下座談話を発表。トルコ友好120年目では岡田元外務大臣が式典に出席しただけで、大きく取り上げられる事も無かった。
 
近くの反日国家にカネをつぎ込むのはもう辞めて、遠くの親日国家に対する連携を模索すべきである。それが日本経済に繋がってくるものと私は考える。
 
 
日本人はトルコの事を知り、戦前のご先祖様の慈悲深き美徳を現代に広めましょう。 
 
 
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