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大東亜戦争を戦った祖父の最期と現代を生きる我々の戦い


 
昭和59年1月10日印刷発行
編集 岩沼市史編纂(へんさん)委員会
発行者 宮城県岩沼市
印刷所 武田印刷株式会社
 
 

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3.11東日本大震災発生後、私は実家へ戻った。身内を探し、親戚を探し、電話が不通の中を車で駆けずり回り、親戚間の安否確認の連絡係の様な形をとった。それぞれの親戚の所には必要な物資を置いてきたり、避難所へ飲料を置いてきたり、見ず知らずの方々へ温かい飲み物、タバコ、ウェットティッシュ等配りまくった。夜は実家の散乱物をひとつひとつ片付け、7つの部屋を掃除し元の姿に近づけようと努力をしていた。
 
14年前に亡くなった父の部屋を片付けていると、この「岩沼市史」が出てきた。昔からなんとなく置いてあるのは知っていたが、大震災のその時だからか?ある人物の名前を必死になって探し当てた。
 

 
戦歿者氏名
日清、日露の戦争をはじめ、満州、日中事変そして太平洋戦争等、各戦役に際し、軍人・軍属として従軍し、尊い命を国家に捧げた本市関係者は、約700名を数える。護国の砦として散華された方々の功績をたたえ、み霊の永遠に安かれと念じながら御芳名を掲げる。(なお資料は昭和31年現在の遺族台帳を主にし、その他地区の慰霊碑等を参考にしたがその後の移動により、不明者もいるので御了承願いたい)
 
岩沼地区
・太平洋戦争・・・斎 佐一
 

 
母方の祖父の確固たる戦没者である証拠がそこに記されていた。前にも書いたが大阪商船(現「商船三井」)の輸送船船長をしていた祖父。おそらく海軍少佐か海軍大尉(没後、中佐へ昇格)
 
昭和19年11月17日 フィリピンマニラ沖にて米国潜水艦の体当たり攻撃により船は沈没、戦死したと母から聞いている。享年42歳。
 
・・・時はレイテ沖海戦後のレイテ島の戦い・・・
 
3:24~輸送船が米国の攻撃を受ける
 
 
飛行場奪還作戦 [編集]
日本側は増援作戦を続けていた。12月までに合計5万名に及ぶ兵力をレイテ島に運んだが、その大半が輸送途中に敵襲を受け、海没する船舶が相次いだ。例えば第1師団の次に送られた第26師団主力は11月9日に無事オルモックに入港したものの、上陸用の大発動艇の不足からほぼ兵員のみの上陸となり、さらに後続の補給物資船団は到着前に次々と沈められた。それでも空襲を警戒して夜間に海岸近くを航行していたので、船が撃沈されても兵隊が泳ぎ着く例は多かったが、軍需品、糧食はその8割までもが海中に沈められた。おまけにかろうじてオルモックへの揚陸に成功した物資も、自動車の不足と劣悪な道路状況などから前線への輸送が滞りがちだった。その結果レイテに運ばれた日本軍を待っていたのはガダルカナルの戦いインパール作戦にも引けを取らない飢餓戦であった。ジャングルを彷徨うことになった日本軍は、戦死というよりもむしろ多くは餓死で密林の中に消えていくことになったのである。(輸送作戦の詳細は多号作戦参照
 
 
戦争当時の日本軍はとても悪いことをしたと自虐史観を植え付ける教育をしているが、よく考えて欲しい。戦争中にフィリピン先住民に武器を渡し、戦闘に加わらせ、日本軍を見たら殺すように支持する米国のやり方は、支那でも見られた・・・「農民ゲリラ」である。これを行った米国は戦争犯罪である。民間人に反日感情を植え付け武器を持たせ戦闘員を作り出した事が犯罪なのです。
 
戦争犯罪(せんそうはんざい)とは、狭義には戦争に関するに違反する行為(交戦法規違反)と戦時反逆罪(作戦地・占領地内における非交戦者による利敵行為)を意味し、広義には交戦法規違反に加え平和に対する罪人道に対する罪を含めた概念を意味する。
具体的には、他国に対して侵略戦争を仕掛けたり、敵兵・捕虜に対して非人道的な扱いをすることなどである。また、民間人に対しての殺戮・追放・逮捕など、紛争や混乱の誘発や報復感情の拡大の原因となる行為と言動も、戦争犯罪であるとされている。(wiki抜粋)
 
日本軍が民間人から根こそぎ食糧を奪う略奪行為を行ったとしても、民間人を殺してはいない事が解るはず。(上記動画の続き)その後、農民ゲリラが米国によって作り出され、民間人と戦闘員の区別がつかなくなり、多数の日本軍兵士が犠牲となった。そして「怪しいと思ったら民間人を殺害しろ」との指令を出さなくてはいけなくなった。
 
 
戦争に関して色々な意見があるのは仕方ないが、日本軍が悪い事をしたと言う自虐史観だけはもってはいけない。戦争とは自国、敵国共に50%、50%の責任がある。その責任の中で戦っているのである。米国の数々の戦争犯罪を見逃して、日本が悪いだなんて言っている事自体おかしな話である。
 
 
我が祖父が戦争で亡くなったことを心底誇りに思う。そして現在、祖父の記憶が薄れかけている100歳になった祖母の人生を考えてみると、波乱万丈以外のなにものでもないと、いやでも感じざるを得ない。
米国の一方的な東京裁判に怒りが込み上げ、米国の戦勝国たる権力を66年経った今現在でも日本に対して行使していることが、私は絶対に許せない。日本国が変わらなければ、いつまで経っても経済も国防も米国の属国である。
 
 
 
 
現代に生きる我々の歴史認識が変わらなければ・・・何らかの形で動かなければ・・・靖国に眠る英霊の方々が浮かばれない。
 
 
 
 もうすぐ【終戦屈辱の日】がくる。祖父の魂が眠る靖国神社へ参拝いたします。
 
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