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グリコ森永事件史③

 

【関西事件史】
グリコ・森永事件(3)緊迫の日曜日

2011.10.5 11:00 (1/5ページ)関西事件史

 
江崎社長に1億円の要求があり、警察が大捜査網を敷いたことを報じる昭和59年4月9日付のサンケイ新聞1面
 空は、青く澄み渡っていた。
 1984(昭和59)年4月8日。グリコ事件の犯人グループが、江崎グリコ(本社・大阪市西淀川区)に現金6000万円を要求してきた取引指定日である。
 日曜日の午前中。休日は夕刊がないので、ふだんなら阪神支局(兵庫県西宮市六湛寺町)には、当直明けの記者が1人いるだけである。
 だが、この日は違った。三々五々、記者が集まってきた。それも人目を忍ぶように、である。
 朝日新聞阪神支局は、阪神電鉄本線をはさんで歩いて5分ほど。神戸新聞阪神総局も、支局の前の国道2号線を車で走れば2、3分の所にある。
 「いいか、他社には絶対に気づかれないように。特に警察には…」
 前夜の7日、前線デスクが伝えた指示である。グリコ事件の捜査本部がある兵庫県警西宮署は当時、支局の窓から見えるほど近い距離にあった。支局の真向かいが西宮市役所。そのとなりが県立西宮病院で、そのとなりが西宮署だった。
 「あすは大捕り物や。犯人が現金授受現場で逮捕されるところを、必ずおさえる。写真を撮る。みんな心してかかれ」
 高揚したデスクの声に、誰もがうなずいた。捜査本部のある当の西宮署にこちらの動きを知られては、そんなみんなの思いが吹き飛ぶ。緊張感と期待感、そしてうまくいくだろうか、という不安感も抱きながら、私たちは「Xデー」の朝、支局のドアを、そろりと開けた。
 
2011.10.5 11:00 (2/5ページ)関西事件史
 現金受け渡し役の写真を撮れ
 
 話は、4月6日の金曜日に戻る。
 「気ぃつけや。帳場(捜査本部)の動きが変やで…」
 西宮署に出入りする知り合いの刑事から天の声を聞いた夜、取材班は、総力をあげて「捜査の動き」の真相に迫った。
 「この週末は、ゴルフできへんな」「機動捜査隊の連中は、週末に招集かかっとるみたいやで…」
 取材班が夜回り先で聞いてきた内容は、週末から日曜日にかけて新たな動きがある、という一点に収斂(しゅうれん)していった。
 「グリコが動く。Xデーは今度の日曜日…」
 「捜査員が現金持参人になる。グリコの社員を装って指定場所に向かう」
 「誘拐事件専門の捜査一課の特殊班だけでなく、機捜隊も動く」
 決定的な情報が、次から次へと集まった。そして、私たちはXデーの捜査シナリオの核心部分も入手した。現金持参人役と現金持参車の運転手役になる捜査員の名前を割り出したのである。
 翌4月7日午前6時すぎ。
 朝もやの中、私と神戸支局の片山雅文(現取締役大阪編集局長)は、裏六甲の山道を総局のラジオカー(無線車)で走っていた。めざすは、現金持参人役の捜査員宅だった。
 〈私が朝駆けする。片山はラジオカーの運転席に残る。ラジオカーは30メートルほど離して止める。ピンポンを鳴らす。捜査員が玄関先に出てくる。私が話しかける。その間に、片山が望遠カメラで捜査員の全身写真を撮る〉
 
2011.10.5 11:00 (3/5ページ)関西事件史
 2人の戦略はこうだった。シナリオ通りに進んだ。捜査員は、背広姿で出てきた。片山は、見事に捜査員の顔や全身像をフィルムにおさめた。
 「Xデーの当日に、現金取引を取材する。そのためには、取材にかかわるすべての記者とカメラマンが、配役(捜査員)の顔を覚えなければならない。要(かなめ)になる現金持参人だけでも、写真をおさえられないか」
 そんなデスクの前夜の急な注文に、首尾よく応えることができた。阪神支局への道すがら、片山のハンドルさばきは、軽やかに見えた。私も、花粉症の鼻をずるずるさせながら、少しばかりの達成感にひたっていた。

捜査本部との駆け引きの末…
 再び4月8日のXデー。西宮市の産経新聞阪神支局。
 そろりと集まった取材班は、時間をかけて各自の役割を入念に確認した。配置に着くのは、昼過ぎからだった。
 (犯人グループが動くのは、夕闇に包まれてから)
 そう、踏んでいたからだ。
 私の役回りは、現金持参人を乗せた車両の追尾だった。といっても、車両がどこに待機しているのか、いつから取引が始まるのか、雲の中。車種さえわからない。人海戦術で、捜査本部の動きを追うしかない。裏六甲で撮った「写真の男」を目撃する。すべての取材は、そこから始まるのである。
 午後1時過ぎ。私は、阪神支局の記者、写真部のカメラマンの3人で、西宮署の捜査本部の窓が見通せる、とある空き地に車を回した。ガソリンスタンドの横で、乗用車が長時間停まっていても不思議ではないロケーションだ。
 (捜査員に気づかれても、ここなら不審に思われないだろう)
 双眼鏡を構えた。車窓から捜査本部の様子をウオッチした。2時間、3時間、4時間…。動きはない。
 
2011.10.5 11:00 (4/5ページ)関西事件史
 片山は、同じ西宮市にある甲子園署に張り込んだ。取材班はとなりの芦屋市にある芦屋署、尼崎市の尼崎西署、尼崎中央署などにも張り込んでいる。もちろん、兵庫県警本部(神戸市)の捜査車両のチェックも続けていた。
 午後7時過ぎ。西宮署の駐車場から、捜査車両が猛スピードで出た。躊躇(ちゅうちょ)する間は、なかった。現金持参人役の、あの「写真の刑事」を確認したわけでもなかった。無線で阪神支局に連絡して、迷わず追尾した。
 あたりはすっかり暗い。捜査車両は、国道2号線をひた走った。対向車線の車のヘッドライトが、やたら気になった。前が見にくい。まぶしい…。
 すぐに巻かれた。
 片山も同じころ、甲子園署から飛び出た車両を追った。顔見知りの「グリコの社員役」の刑事が、確かに乗っていた。だが、芦屋市の警察学校付近で見失った。あとになってわかったことだが、捜査本部は、こちらの動きをすべて「お見通し」だった。私が追尾した捜査車両は、おとりだった。
 「ひらっちゃん(平田)、双眼鏡、観すぎやで」
 捜査員は、こう言って苦笑した。

スクープが残したものは
 その夜の取材で、犯人グループは指定してきた現金取引現場には姿を現さず、捜査は空振りだったことがわかった。
 「グリコ社長に1億円要求 誘拐犯グループ異常な脅迫 引き渡し8日指定 警察、大捜査網敷く」
 産経新聞の9日付朝刊1面には、こんな見出しが躍った。大捜査網の様子を記した社会面には、猛スピードで走る捜査車両の写真も、どかんと載った。肩透かしの結果となったので、複雑な思いでの出稿となった。
 だが、他社にとっては、目が飛び出るような衝撃的な記事だった。何しろ、一歩間違えば、産経新聞に「犯人逮捕の現場写真」と「現金取引劇の一部始終」をルポ記事でスクープされるところだったのだから。
 
2011.10.5 11:00 (5/5ページ)関西事件史
 犯人グループは、8日の取引を「前哨戦」と位置付けていた。江崎グリコが警察に知らせているのかを、確かめたかったに違いない。
 江崎グリコが警察に通報していたこと、そして兵庫県警が大捜査網を敷いていたことを、産経新聞のスクープが決定的に裏付けてしまった。
 私たちは先の4月5日付朝刊とこの9日付朝刊の連続スクープが、のちの丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋と続く、一連の事件の試金石になってしまうことに、この時、まだ気づいていなかった。
     (敬称略)
(執行役員東京総合企画室長 平田篤州)
◆グリコ・森永事件◆
 昭和59年3月18日夜、江崎勝久・江崎グリコ社長が兵庫県西宮市の自宅から入浴中に拉致され、現金10億円と金塊100キロを要求された誘拐事件が発端。江崎社長は約65時間後に大阪府茨木市内の水防倉庫から自力で脱出したが、グリコ本社(大阪市西淀川区)の施設が放火されるなど犯行はエスカレートした。
 犯人グループはその後も同年6月に丸大食品、9月に森永製菓、11月にはハウス食品などを次々と脅迫。同年10月には兵庫など4府県で、翌60年2月には東京と愛知で、スーパーなどに「どくいり きけん」などのメモを張った青酸菓子をばらまいた。
 この間、「かい人21面相」を名乗る犯人グループから計144通もの挑戦状や脅迫状がマスコミなどに届いたが、同年8月、「くいもんの会社 いびるの もおやめや」と「終結宣言」を出して動きを止めた。
 警察当局は6都府県警で延べ約130万1000人の捜査員を投入。約600点もの遺留品捜査を行う一方、捜査員が目撃した「キツネ目の男」や青酸菓子ばらまきで防犯カメラがとらえた「ビデオの男」などを公開したが、平成12年2月までに計28件の事件すべてが時効となった。


 
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