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グリコ森永事件史④

【関西事件史】
グリコ・森永事件(4)1カ月遅れの「かい人」

2011.10.6 11:00 (1/4ページ)関西事件史
 

江崎社長宅に新たな脅迫状が届いていたことを報じる昭和59年4月10日付のサンケイ新聞社会面
 
 大阪市北区梅田の産経新聞大阪本社。1984(昭和59)年4月9日朝、郵便物を仕分けていた社員が、1通の封筒に目を止めた。
 差出人の名前がない茶封筒である。そして、封筒の表にタイプ打ちの文字でこうあった。
 「江崎勝久」
 封筒は、すぐに本社2階の社会部に回った。
 社会部は、その日の朝刊1面で「グリコ社長誘拐 現金取引で緊迫の攻防」をスクープしていたこともあり、夕刊での続報出稿に力をこめていた。
 くしくもこの日は、江崎社長が兵庫県西宮市の自宅から、22日ぶりに江崎グリコ本社(大阪市西淀川区)に出社する日でもあった。
 そこに突如、出現した「江崎勝久」の茶封筒。封を切ると、白い用紙が出てきた。文面の書き出しに、こうタイプ打ちされていた。
 けいさつの あほどもえ プロやったら わしらつかまえてみ
 消印は「大阪中央郵便局」。受付時間は「7日18時-24時」。8日の捕物劇前夜の投函で、明らかに「翌日の攻防」を意識していた。「つかまえてみ」と言いながら、犯人グループは動かなかった。だから、警察としては捕まえられるはずもなかった。つまり、8日は、あくまでも警察の動きをうかがう「予備日」で、本気で現金を奪取する意図はなかったのだろう。
 タイプ打ちは、さらにこう続く。
 ヒントおしえたる 江崎のみうちにナカマはおらん つこうた車はグレー
 この文書は、産経新聞大阪本社と毎日新聞大阪本社だけに届いた。のちに新聞社や放送局に次々と送られてくる「挑戦状」の最初の1通だった。
 
2011.10.6 11:00 (2/4ページ)関西事件史

「グリコが燃えとる」
 その翌日の10日夜、私は神戸市須磨区にいた。神戸支局の片山雅文(現取締役大阪編集局長)が、8日夜の捕物劇のときに甲子園署(西宮市)で目撃して追跡した「グリコ社員役」の捜査員宅に夜討ちにきたのだ。
 午後9時過ぎ。さあ、玄関に、と思った瞬間だった。
 ピー、ピー、ピー
 ポケットベルが鳴った。そのころ、携帯電話は世になかった。ポケベルだけが緊急連絡の頼りである。近くの公衆電話ボックスに飛び込み、大阪府警の産経新聞ボックス(記者室)に電話を入れた。
 「グリコが燃えとる」
 誰だったかは覚えていないが、その声はうわずっていた。
 (グリコ炎上…。まるで金閣寺炎上みたいや)
犯人グループの仕業(しわざ)なのか。
 身震いした。見上げた夜空に、満開の桜の花が咲き誇っていた。月夜だった。月光と花びらに、紅蓮(ぐれん)の炎が重なって見えた。
 この瞬間、グリコ事件は大阪府警の管轄下に本格的に入った。江崎社長の監禁先が大阪府茨木市だったので、それまでも兵庫県警は大阪府警と合同の捜査体制をとっていた。だが、あくまでも主役は兵庫県警だった。それが「グリコ炎上」で変わった。
 江崎グリコの本社に着いたとき、すでに工務部試作工場(180平方メートル)は、焼け落ちていた。まもなく、時限発火装置の付いたポリ容器が見つかった。
 やはり、放火事件だった。警察庁は一連のグリコ犯の仕業と断定して、「広域重要114号事件」に指定した。
 この指定で、大阪府警を担当する記者にとっても「管轄外の応援取材」から、「犯人逮捕」を他社にスクープされたら辞表を提出しなければならない死活的に重要な「自分の事件」になったのである。
 
 
2011.10.6 11:00 (3/4ページ)関西事件史

かい人21面相登場
 江崎社長の誘拐に端を発した「警察庁指定広域重要114号事件」といって浮かぶ言葉を挙げるなら、次のようなものになるのではないか。
 かい人21面相
 どくいり きけん たべたらしぬで
 青酸菓子
 劇場型犯罪
 空き缶坊や(脅迫テープで「あきかんのなか」と話した子供)
 ビデオの男(コンビニに青酸菓子を置いた野球帽の不審者)
 キツネ目の男(JR東海道線の電車内などで目撃された不審者)  
 ハウス事件をめぐる報道協定
 滋賀県警本部長の焼身自殺
 なかでも、「かい人21面相」は、その代表だろう。江戸川乱歩の「少年探偵団」に登場する架空の大怪盗「怪人20面相」から着想したネーミングなのだろうが、騒がれて「劇場型犯罪」のキーワードにもなった。
 ところが犯人グループが「かい人21面相」を名乗ったのは、実は、事件後すぐではなかった。誘拐事件の発生から1カ月以上が過ぎた4月23日朝に発見された、「第2挑戦状」からなのだ。
 産経新聞と毎日新聞に送られてきた挑戦状には、こうあった。
 けいさつの あほども え
 おまえら うそ ついたらあかんで…(略)… また ヒント おしえたろ
 工場えは 通用門から はいった
 タイプは パンライターや
 ポリよおきは ひろいもんや
   かい人21面相
 この1カ月余の「21面相不在」は、何を意味するのか。私は、その期間こそ、犯人グループが現金を真剣に奪取しようとした「本気度の高い時期」だったのではないか、と思っている。
 
2011.10.6 11:00 (4/4ページ)関西事件史
 そしてこの期間に、次のような犯行モデルを作り上げたと考えている。
 〈最初の取引指定日には動かずに、様子を見る。警察の動きを見計らって、第2の指定日を通知し、本気で現金奪取に動く。警察の動きを知る役割をマスコミに負わせる。つまり、マスコミに挑戦状を送りつけて小出しに情報を提供し、取材させる。記事の中身から警察の捜査状況を把握する〉
 21面相不在の時期の4月に「警察の動きを知る役割」を担わされてしまったのは、不覚にも、産経新聞だったのではないか。
 スクープだと自賛していた4月5日付朝刊の「江崎社長宅に脅迫電話」の記事で、21面相は「マスコミは使える」と思ったに違いない。そして4月9日の「日曜日に緊迫の攻防」の記事が、その思いに拍車をかけた。「記事は、捜査状況を知る上で、格好のバロメーターだ」と。
 江崎のみうちに ナカマはおらん
 こう書いていた21面相だが、実はマスコミこそ、かい人21面相の「仲間」にされていた。そんな無念さが残るのは、私だけではないはずだ。
     (敬称略)
(執行役員東京総合企画室長 平田篤州)
◆グリコ・森永事件◆
 昭和59年3月18日夜、江崎勝久・江崎グリコ社長が兵庫県西宮市の自宅から入浴中に拉致され、現金10億円と金塊100キロを要求された誘拐事件が発端。江崎社長は約65時間後に大阪府茨木市内の水防倉庫から自力で脱出したが、グリコ本社(大阪市西淀川区)の施設が放火されるなど犯行はエスカレートした。
 犯人グループはその後も同年6月に丸大食品、9月に森永製菓、11月にはハウス食品などを次々と脅迫。同年10月には兵庫など4府県で、翌60年2月には東京と愛知で、スーパーなどに「どくいり きけん」などのメモを張った青酸菓子をばらまいた。
 この間、「かい人21面相」を名乗る犯人グループから計144通もの挑戦状や脅迫状がマスコミなどに届いたが、同年8月、「くいもんの会社 いびるの もおやめや」と「終結宣言」を出して動きを止めた。
 警察当局は6都府県警で延べ約130万1000人の捜査員を投入。約600点もの遺留品捜査を行う一方、捜査員が目撃した「キツネ目の男」や青酸菓子ばらまきで防犯カメラがとらえた「ビデオの男」などを公開したが、平成12年2月までに計28件の事件すべてが時効となった。
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