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グリコ森永事件史⑤

 

【関西事件史】
グリコ・森永事件(5)テロだった「劇場犯罪」

2011.10.7 11:00 (1/4ページ)関西事件史

 
兵庫県西宮市の江崎社長宅前で捜査状況を見守る報道陣
 《江崎グリコの江崎勝久社長が兵庫県西宮市の自宅から連れ去られた》
 新聞記者になって丸2年弱だった。担当していた兵庫県警が摘発した汚職事件の取材に追われ、ほぼ2カ月ぶりの完全休養日。テレビに流れたテロップを見て自宅を飛び出した。
 押っ取り刀で駆けつけた現場は、朝刊の締め切り時間が迫る中、状況がわからずに殺気だった各紙記者がひしめき、怒号が飛び交っていた。凍てつくような寒い夜。締め切りがすぎた後も「何か動きはないか」と制止線ロープの前で震えながら立ちん坊で夜を明かすと、みぞれ混じりの小雨から変わった雪がコートの肩で盛り塩のように凍っていた。
 空が白んだころ、マスコミが事件の報道を自粛する報道協定が結ばれた。身代金目的の誘拐事件と断定されたからだ。すでに各紙の朝刊1面トップで事件が報じられており、前代未聞の協定だったが、「あ~これでこの場を離れられる」。凍えながら頭に浮かんだのはそれだけだった。
 その3日後、江崎社長が監禁先から自力で脱出したのを聞いて、「犯人グループの逮捕に向けてまた厳しい抜き合いやなあ…」。そんな思いがよぎったが、それは長い長い事件の『序章』に過ぎなかった。
 以来、連続6年半を兵庫県警と大阪府警捜査1課担当として直接取材し、その後も府警キャップや社会部デスクなどとして誘拐の時効、青酸菓子ばらまきなど一連の事件の完全時効…。記者生活の中心に常にこの事件があった。
 
2011.10.7 11:00 (2/4ページ)関西事件史

「特ダネ競争」の恐怖
 「毎日新聞が夕刊の1面で『グリコ犯取り調べ』と書いてるぞ!」
 犯人グループによる終結宣言から約3年10カ月が過ぎた平成元年6月1日午後3時前。大阪府警本部2階の産経新聞記者室の電話がけたたましく鳴り、デスクの怒声が響いた。
 当時はグリコ・森永事件捜査の中心である捜査1課担当キャップ。全身の血の気が引いていくのをはっきりと感じた。
 「大阪府警などは主犯と実行犯ら4人を恐喝、脅迫などの容疑で取り調べを始めた」。記事は、「警察庁の金沢昭雄長官(当時)が官邸に竹下首相(同)を訪ね、事件の解決を緊急報告する」とまで書かれていた。
 ファクスで送られてきた記事のコピーを手に、震える手で1課長室に電話したが、グリコ・森永事件の捜査本部に出かけていた。府内の署長に転出していた前任の1課長も不在。しかも、府警本部に行ったとのことだった。「関係幹部が緊急招集されている。あかん…」。泣きたい思いで、捜査本部のある近くのオフィスビルに走ると、他紙の担当記者も青い顔で集まっており、全員がその場にへたり込んだ。
 「グリコを抜かれたら記者を辞める」。どの社の1課担も思いは同じだった。
 先日、NHKで当時の取材合戦や警察の捜査の実態などを再現したドラマが放送された。この中で、石丸謙二郎さん演じる毎日新聞の社会部長が鶴見辰吾さん演じる府警キャップに、自分の机の引き出しに入れてある辞表を示しながら、「グリコで負けたら会社辞めてくれ。おれも辞める」と決意を迫るシーンがあったが、あれは決して誇張ではない。
 「グリコを抜かれた記者」のレッテルを貼られて記者を続けることなど考えもしなかった。このときも、転職後の自分の姿を思い浮かべた。
 
2011.10.7 11:00 (3/4ページ)関西事件史
 が、しばらくして姿を現した1課長は笑いながら答えた。「そんな話は聞いてないで。今までここで部下の昇任試験の模擬面接をしてたんや」
 別の事件の容疑者をグリコ犯と早合点した東京発の誤報だった。振り回されたという点では大阪の毎日記者も同じだった。「いくら取材しても否定される。裏が取れない…」。夜回り先で疲れ果ててうずくまっている毎日の記者を目にしたが、他人事ではなかった。
 「関西ジャーナリズム」という言葉がある。東京と違って大阪には政治部も外信部もない。ニュースを追う中心は社会部だ。各紙が事件・事故の報道でしのぎを削り、「えげつない」特ダネ競争が展開される。極めつけがこの事件だった。
 「かい人21面相」を名乗った犯人グループは昭和60年8月12日の終結宣言を最後に闇に消えたが、担当記者がその後も『呪縛』から逃れられることはなかった。特ダネへの貪欲さと背中合わせに、通常とは比較にならない“抜かれる恐怖”があった。

国民を人質にした「食品テロ」
 「はなよりも みのお(箕面)のさとの もみじがり みのひとつだに とれぬけいさつ」
 この事件の特異性の一つが、犯人グループから産経新聞などに次々と送られてきた挑戦状だった。
 犯行を誇示する一方で警察を揶揄(やゆ)し、時には手の内を明かしたり、警察が公表していない事実を暴露したりもした。
 冒頭の川柳は、森永製菓に対する脅迫を止めることを記した昭和60年2月27日発見の挑戦状の末尾に書かれていた。それまでも挑戦状の文体や内容から、「主犯格はかなりの知識人」という指摘が多かった。
 青酸菓子ばらまきを挑戦状で予告、全国をパニックに陥れた。マスコミを通じて存在をアピールし脅迫効果を高める手口は、『劇場犯罪』という新語を生んだ。
 が、現在の感覚でいえば、一連の事件は明らかに連続企業恐喝事件にとどまらず、国民を人質にした食品テロだった。
 
2011.10.7 11:00 (4/4ページ)関西事件史
 「グリコ事件の犯人は人を殺さなかった」という見方があったが、これは間違いだ。江崎社長の誘拐事件直後に大阪市大正区で起きた小学1年の男児誘拐・殺害事件で、犯人は「グリコ事件をまねて身代金を取るつもりだった」と供述した。
 ハウス食品恐喝事件での犯人取り逃がし(昭和59年11月14日)の責任を一身に背負わされた滋賀県警の本部長は9カ月後、本部長官舎の庭で焼身自殺した。休日返上の捜査で体調を崩し、殉職した刑事もいる。
 事件の関係者の元にメディアが殺到することが社会問題視されている「メディア・スクラム」への反省を込めていえば、江崎社長をはじめ被害者の方々には筆舌に尽くしがたい思いをさせたし、工場の操業がストップして大勢のパート社員が解雇された。身に覚えがないのに疑いの目を向けられ、人生の歯車が狂った人もいるだろう。
 直接手を下してはいなくても、「かい人21面相」の犯した罪の重さに「時効」はない。
(取締役大阪編集局長兼大阪代表補佐 片山雅文)
     ◇
 この記事は平成19年10月、MSN産経ニュースの連載「記者は見た 世紀の事件」に掲載された記事を加筆・修正しました。
◆グリコ・森永事件◆
 昭和59年3月18日夜、江崎勝久・江崎グリコ社長が兵庫県西宮市の自宅から入浴中に拉致され、現金10億円と金塊100キロを要求された誘拐事件が発端。江崎社長は約65時間後に大阪府茨木市内の水防倉庫から自力で脱出したが、グリコ本社(大阪市西淀川区)の施設が放火されるなど犯行はエスカレートした。
 犯人グループはその後も同年6月に丸大食品、9月に森永製菓、11月にはハウス食品などを次々と脅迫。同年10月には兵庫など4府県で、翌60年2月には東京と愛知で、スーパーなどに「どくいり きけん」などのメモを張った青酸菓子をばらまいた。
 この間、「かい人21面相」を名乗る犯人グループから計144通もの挑戦状や脅迫状がマスコミなどに届いたが、同年8月、「くいもんの会社 いびるの もおやめや」と「終結宣言」を出して動きを止めた。
 警察当局は6都府県警で延べ約130万1000人の捜査員を投入。約600点もの遺留品捜査を行う一方、捜査員が目撃した「キツネ目の男」や青酸菓子ばらまきで防犯カメラがとらえた「ビデオの男」などを公開したが、平成12年2月までに計28件の事件すべてが時効となった。


 
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