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我が祖父


 
 
斎 佐一 (さい さいち)
 
明治35年生まれ 東京商船大学卒
 
大阪商船 海外航路 輸送船船長
 
当時、海軍少佐もしくは大尉
 
昭和19年11月19日 フィリピンマニラ沖にて戦死
 
享年42歳
 

 
 

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祖父が生きていれば現在108歳である。祖母は現在100歳である。
 
 
 
東日本大震災にて未曾有の被害をうけていながらも、祖母は健在であり、昔から住んでいる家も丈夫であった。祖父の事を311以降に詳しく聞くつもりで祖母の家(宮城県岩沼市)へ行ったが、それどころの騒ぎではなかった。食糧、燃料の確保と、100歳の祖母の安全確保、それであっという間に1週間~10日が過ぎ去った。そして大阪へ帰ることになる。
 
学校の先生であり、生け花教室と共に過ごしてきた祖母は、少々認知症の症状が見られる。祖父の事を思い出して聞き出す事は私のエゴではないのか?とも思い、なかなか2度目の帰郷は果たせていない。
 
フィリピンマニラ沖に沈没した船体からは遺体は引き上げられていない。しかし戦死した祖父の魂は、靖国神社で仲間と共に眠られている認識である。悲しい事に親戚の中には靖国神社という場所を左翼的な考えを持って認識している人もいるはずである(未確認)。それが原因か解らないが靖国神社の遊就館の英霊の多数の写真の中には祖父の写真が飾られていない。その為に私がここ数年、色々と動いていた訳であるが、祖母が住んでいる役所から祖父が戦死したという証明書を受け取りに行かねばならず、それには私だけではなく、私と祖父の血縁関係を証明できるもの(私と母の戸籍謄本)が不可欠である。その他に色々と行かねばならない所があるのだが、311大震災以降動けないでいる。厚労省にも靖国神社にも祖父の戦死を証明するものが無い。それなのに、祖母は祖父の死により遺族年金を貰っている。国と地方の情報共有が出来ていないうえに、その証拠に関わる一切を遺族に投げっぱなしの縦割り行政に怒りを感じる。市町村から厚労省へ戦死者、戦没者の情報を伝えるだけで済む話でしょう?
 
 
 
戦争は美化するのもではない!と同時に、戦争を愚弄するものではない!と思っている。真実の戦争を語り継ぐのは戦争体験者である。良い事も悪い事も語り継いで、現代に生きる我々がそれらをどう捉えるか、日本が歩んできた歴史をそのまま受け止め、諸外国との付き合い方を考え直さなければいけないと思っている。辻説法でも話しているが、あと10年~20年ほどで戦争で戦った先人たちが世界からいなくなってしまい、20年~40年ほどで戦争を肌身で感じた当時の国民がいなくなってしまう。生き証人がいなくなった後で戦争を語る人間は、戦後生まれの人間であり、残された資料、写真、その他資料館に管理されている当時の武器、防具、遺書などで判断しなければいけなくなる。
 
平成の今の時点で嘘・捏造がまかり通り、南京大虐殺だの従軍慰安婦だの日本がいいように利用されているにも関わらず、今の政治家はそれらを政治の道具に使う。学校教育でも道具にされている。歴史を振り返り真実を伝えていかなければ何が真実で、何が嘘かもわからなくなる。平成の時代に、江戸時代の事を語るようなものであり、真実よりも歴史に脚色した構成を重視するようになる。(水戸黄門などがいい例である)
 
 
戦争を考える時に、現代社会を生きる人の感覚で物事を見るのではなく、戦争当時の日本に住んでいる感覚で物事を見てほしい。左翼は戦争を知らない遺族目線で戦争を語っているが、私は戦争当時を生きた祖父の目線で戦争を語る。それが祖父はじめ英霊となられた方々の鎮魂になり、戦後の66年もの総括をする上で大切な方法であると思う。
 

祖父の晩年
 
 
嘘を罪とし
捏造を罪とし
偏向報道を検証し
関わった全ての人間を投獄し
戦後の歴史認識を改めよ。
 
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